乙未事変または閔妃殺害
Wikipediaは便利だけど怪しい。まあ、今時Wikipediaに書かれている内容を頭から信じてる人はいないと思うけれど、日韓関係のWikipediaの記述はすごい。何がすごいって、日韓の記述が全然違う。
歴史認識の違いといえばそれまでかもしれない。敏感な部分については両国の見解を併記してたりするんだが、一方的な記述も少なくない。
いろいろあるんだけど、さっき見つけたのは乙未事変、または閔妃殺害事件と言われてる朝鮮の王妃が殺された事件についての日本語版Wikipediaの項目で、「親露に傾いていく閔妃に不満を持つ高宗の父・興宣大院君や開化派勢力、日本などの諸外国に警戒されていたなか、1895年10月8日、何者かによって閔妃は景福宮にて殺害され、遺体も焼却された」という。 事件の首謀者については「実際の暗殺の真の首謀者、実行者は誰であったかについては、日韓外交資料、梅泉野録、アジア歴史資料センターによる公文書、ロシア参謀本部中佐の『朝鮮旅行記』による記述の検討がなされているが、真相はいまだに明確ではない」んだそうだ。
これに対して韓国語版だと「乙未事変は1895年陰暦8月20日(陽暦10月8日)日本帝国が朝鮮侵略に最大の障害だった明成皇后閔氏が景福宮で朝鮮駐在日本公使三浦梧楼が指揮する日本浪人などに殺害された事件」となっている。
詳しくは実際に比べてみてほしいのだけど、たとえば日本語版の記述では、朝鮮人加担者については詳しく氏名をあげて書いているのに、日本人加担者については「三浦を含む容疑者48人」程度しか書かれていない。さらに「当時の日本政府による計画的な策謀でないことは判明している」そうな。つまり、朝鮮の開化派がやった、ということだ。
これが韓国語版だとこうなる。「乙未事変は三浦一党が犯したが、これまでの研究結果によれば実際の主導者は三浦の前の公使だった井上馨など日本の政治最高元老および 総理大臣伊藤博文以下の閣僚であった」。つまり、日本の政府の仕業だ、ということだ。
さすがにこれらの記述は、日韓とも歴史の歪曲と言っていい。
まず日本語版だが、日本政府が組織的に関与したかどうかはわからないとしても(本国政府の介入を示す史料があるとも言われてるけど、さすがに内閣が外国の王妃暗殺を組織的に計画・実行したとは思えない)、三浦公使や杉村書記官が何らかの役割を演じていたのは明らか。閔妃殺害についての具体的な行為については、日本国内の裁判で証拠不十分で免訴になったから関与してなかったという理屈が通るんだったら、たとえば日本人を拉致した北朝鮮のスパイが北朝鮮の裁判で証拠不十分でお咎めなしになれば「拉致に関与してなかった」ということになってしまう。まあ、大日本帝国や北朝鮮みたいなテロ国家では、裁判なんてそんなもんだ。
じゃ韓国語版はどうかというと、これも歪曲だろう。
前に書いたように韓国語版では井上や伊藤が主導者と断言しているが、主導者とまで言えるのか、少なくともぼくが知っている限りでは日本政府が朝鮮の閔氏一派に手を焼いていたとはいえ、国家的な暗殺計画を立てるほど常識外れじゃなかった。仮に何らかの形で関与していたとしても、「実際の主導者」と断言する根拠はない。もちろん日本の指揮下にある武装部隊がかかわっているのはどうしようもない事実なので、少なくとも公使館で部隊を動かす権限を持っていた高位レベルの関与の可能性は高い。
実際の殺害犯についても、日本語版、韓国語版では「朝鮮人がやった」、「日本人がやった」と分かれている。このへんになるとさすがに実際に誰が致命傷を与えたのか、ぼくに判断できるようなものではないのだが、とにかくこれについて2つの説があり、どちらの側も自説が正しいと主張している(日本語版には「真相はいまだに明確ではない」と書かれているけど、それなら不明確な部分を紹介しなきゃね)。歴史なんて、両者の言い分を足して二で割ゃいいなんてもんじゃないので、何があったのかの真摯な究明は必要だけど、現状の結論はとても真実からほど遠い。
Wikipediaは気がついた人が書き加えるなり間違いを見つけたら訂正しなさいというメディアなので、反対意見が書かれていないからダメだなんて、ここで言うつもりはない。
ただ、日本と韓国のクソ右翼どもがWikipediaというメディアを使って自己陶酔しているのを見ると、こりゃ、何か間違ってるなと思うのである。
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