韓国ドキュメンタリー - ハルメ花
去年、シネマダルの人に「これはぜひ見て」と言われてDVDをもらったまま、1年間ほったらかしになっていたのを机の堆積層から発掘した。で、日曜日に見た。すごかった。
監督の家族史ドキュメンタリーなんだけど、これはすごい。ふつうっぽい食堂のおばさん(監督のお母さんだ)の一言から始まるその家族史は、南北の分断、上と下の村の分断、身分による分断、家族の中での分断、イデオロギーの分断、半島と日本の分断、そんなあらゆるレベルの分断でずたずたに引き裂かれた人生を生き抜いてきた家族の話で綴られる。
何がどう間違ったんだか、無茶苦茶な殺し合いがあった。ぼくも知ってる韓国の暗い歴史の一部分。だけど、このドキュメンタリーの中では、それが外国の歴史ではなく、自分の身内に実際にふりかかった災いとして描かれる。殺戮の映像が出てくるわけじゃない。だけど、やたらリアルなのだ。
残念ながら、自首しようとしたお祖父ちゃんを殺した×さんの家族の映像が出てこない。出てきたらそれなりにまたリアルだっただろうけど、出てこない、出せないというのが、今も続くあの時代の傷跡をリアルに感じさせたりもいる。
このドキュメンタリーは、ぼくにとってちょっとしたカルチャーショックだった。知ってると思っていた朝鮮半島の分断の歴史だけれど、韓国の人たちがその分断の歴史の中をどう生きてきたのかということまでは知らなかった。このドキュメンタリーを撮ったまだ若い監督自身も知らなかったのかもしれない。
分断が日常の生活になり、分断と適当に折り合いをつけながら付き合い続けなければならなかった人たち。
このドキュメンタリーを見ると、日本だったら許されないような居住地による差別が韓国にもあるらしいということがわかる。若干ソフトなようにも思えるけれど、とにかくそういう差別があって、で、平然と「あの地区の連中は…」みたいな言葉が飛び出すのでびっくりしてしまう。…と同時に、分断と差別と付き合っていかなければならなかった彼らにとって、これもまた世渡りの方便なのかもしれないとも思う。そうした差別を現実のものとして認め、受け入れなければ生きていけなかったのかもしれない。「差別はいけない」というタテマエがどうこうという話ではなくて、それを受け入れなければおかしくなってしまうのだろう。監督のおじさんみたいに。
どう考えても歴史の悲劇なのだ。広島・長崎の原爆が悲劇だったように、南京虐殺が悲劇だったように、アウシュビッツが悲劇だったように、韓国の南の地方で起きた悲劇の一部なんだけど、その悲劇の全容は今もまだよくわからない。
戦争の時の悲劇なら、まだ悪玉と善玉を分けて「あいつが悪い」ということもできるのだけど、この種の悲劇は悪玉と善玉を区別できない。だから全容もわからない。おじいさんを殺した誰かさんの家族みたいに、真実を明らかにしようとすると、そこでややこしいことになってしまう。もしかすると、このドキュメンタリーには出てこないようなこともあったかもしれない。監督の家族が真っ白だとは限らない。大地主の両班だった監督の家が、使用人たちから何か恨みを買っていなかったとも思えない。
いや、とにかくまあ、機会があれば見てほしい作品であります。
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