韓国映画 - 小人が打ち上げた小さな球 (小さなボール)
原作は同名のチョ・セヒの小説。韓国ではとても有名な小説だそうだ。イ・ウォンセ監督が映画化したこの作品は1981年に公開された古い映画だけど、韓国では今でもとても評価が高くてどこかで韓国の名画トップ10にあげられていた。しかし30年前のアン・ソンギとクム・ボラ、若いですねー。
朴正煕の軍事政権下で韓国が「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を遂げた1970年代、キャバレーのドアボーイとして働く背の低い父親、塩田で働く母親と長男、チャンピオンを夢見てボクシングジムに通う次男、そして娘という家族。普通の父親と違って人々の笑いの種にされる背の低い父親は、家族を養えないことに負担を感じているが、それでも子供たちは父親を慕い、幸せに暮らしている。
貧しくても、五人が肩を寄せ合って暮らす塩田の粗末な小屋は、父親が苦労して稼いだ金で建てた小屋だった。だが突然、会社が塩田を閉鎖するから、家を明け渡して出て行けという通告をしてくる。会社からはアパートの分譲権が代価として与えられるが、アパートの家賃はとても払えない。塩田の人々は、二束三文で分譲権を売って家を明け渡さざるを得ない。しかしわずかな金では行くところがない。家族が暮らす家の撤去が始まる。
今、あらためて見てみると、さすがに時代を感じさせる。感傷的な表現も古めかしい。
だけど最近の竜山惨事につながる開発と撤去の問題は、この時代から少しも変わっていない。いや、少しぐらいは良くなった。でも、本質的な構造は変わっていないし、さらに本質的な資本の暴力は、世界中でますます猛威をふるっているという意味で、この古い映画に描かれている問題は今なお同時代的な問題だ。
この映画には、最近の撤去反対闘争のような激しい闘いは登場しない。資本に対する直接の批判もない。貧しい人々の深い悲しみと、静かな怒りが込められているだけだ。
この映画が公開された1981年というと、88年のオリンピック開催地にソウルが選ばれた年でもある。光州事件の後、民衆の中で何かが渦巻きつつ、エネルギーを蓄積していた時代だ。軍事政権下で、そのエネルギーがこの映画に滲んでいる。
ところでこの映画のタイトルは、原題が「小人が打ち上げた小さな球」、邦題は単に「小さなボール」になっている。「小人」という単語が問題なのかもしれない。気を悪くした人がいたらごめんなさい。
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