韓国ドキュメンタリー - 牛の鈴音
韓国に限らず、ドキュメンタリー映画は興行的には楽じゃない。予算も限られている独立ドキュメンタリーならなおさら。ドキュメンタリーの分野でこれまで好成績をあげた作品というと、「送還日記」が3万人、「ウリハッキョ」は10万人で、これは「大ヒット」と言われりもしたもんだ。
ところがこの「牛の鈴音」は、こうした記録をあっさり塗り替えて、昨年末の段階で300万人を動員したというのだから、これは一大事である。
韓国って、なんだか国をあげて「イケイケ!」と突き進む国、というイメージがある。「これからは○○の時代だ」と言うことになると、誰もが○○に向かって突進する、みたいな。そんな勢いから取り残された人たちは、ただ見捨てられるんだろうか。
一躍メジャーになってしまって、いろいろ言われたりもするみたいだけれど、それでもやっぱりこの映画にはメディアクト的な「周辺化された人たち」への思いがある。
もっとも、ここに登場する老人たちは、自分が「周辺化された」とは思っていないんだと思う。昔からの生活のスタイルを変えず、それなりに幸せに暮らしているんだと思う。
ひたすら経済成長を追いかける韓国の社会と、衰え消えていく韓国のもうひとつの社会。
最後のシーンで、パワーショベルが出てくるのが「へぇーっ」と思った。意図したわけでもないんだろうけど、なんだかとても象徴的というか、印象的なシーンだった。
この映画の世界とは対極にいる土建屋のイ・ミョンバクも、監督と一緒にこの映画を見て泣いたとかいうけれど、ミョンバク的な文脈ではきっとこの映画もまた韓国コンテンツ産業の有望株に見えたに違いない。でも、できあがった作品だけを見ていては、韓国コンテンツ産業育成の鍵はわからない。こういう作品を作ることができたのは、まさにミョンバク的な世界の反対側から世界を見ることができる人たちがいるからだと思うのだよ。
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