韓国ドキュメンタリー - 外泊
2月下旬、この「外泊」の上映会のためにキム・ミレ監督が日本に来るという。キム・ミレ監督もメディアクトとは縁の深い監督ということで、MediRでは、例のメディアクトなどをめぐるさまざまな問題について、今回は「外泊」の監督としてというよりも、メディアクトを使って優れたドキュメンタリーを完成させた利用者として、最近の韓国の独立映画・ドキュメンタリーの現場の話を聞いてみようという趣向。
韓国の労働争議では、男も女も激しく戦う。昨年、双竜車の男たちが工場に立てこもって激しい肉弾戦を繰り広げたのは記憶に新しいが、女たちの闘いもしたたかだ。派手な肉弾戦はないけれど、数と団結で徹底的に抵抗する。昔のトンイル紡績の闘い、ロッテホテルの職場占拠をはじめ、日本でもよく知られた闘いは多い。
男たちの闘い、女たちの闘い、といっても、別に男と女が別々に戦ってるわけじゃなくて、単に職場の組合員の男女比による。女性の多い現場で、もろに機動隊(戦闘警察)と衝突しても、力で負けるのは目に見えているので、抵抗という形を取るわけだ。
で、とにかくしつこいんだ、これが。
韓国の日系企業で争議になると、ときどき日本に遠征闘争団を送り込んでくることがあって、ぼくも何度か支援をしたことがある。たとえば、数年前の韓国シチズンの時は、女性の組立工が多い職場で、遠征闘争団も圧倒的に女性の比率が高かった。外国での遠征闘争ということもあって、韓国の国内でやるような派手なことはあまりしないのだけど、とにかくしつこい。粘っこい。
決して住みやすいとは言えない宿舎で何ヶ月も頑張って、本社前に抗議に出かけては、座り込みや歌や踊りで抗議を続ける。相手側から何かアクションがあると、みんな口々にわーわー喚めきたてる。「どけ」とか言われると、かえってみんなで集まって座り込んで、ぺちゃぺちゃおしゃべりを始めちゃったりする。会社の正門前で、キムチと海苔を出してご飯を食べたりする。太鼓を叩きながら踊りだしたりする。「うるさい」なんて文句言おうもんなら、さらに大きな声で歌が始まる。
そんな遠征闘争団のおばさん(というとアレなんだが)から話を聞くと、長い間、家をあけて日本で闘うのは、本当につらいという。ある人は子供を預け、ある人は連れ合いにぶーぶー文句をいわれ、ある人は一人で暮らしている老いた母親の心配で寝られない。1か月以上日本で苦しい闘いを続けていた若い女性労働者が、仲間と「昨日の夜、お母さんに会いたくて涙が出て眠れなかったよ」なんて話してた。それでも、こんな悔しい仕打ちには絶対に負けられないという一念で粘りに粘るのである。
で、「外泊」なんだが、DVDが出ているわけでもなく、今のところ一般の劇場公開の予定もないそうなので、上映会などの機会を見つけて見るしかない。でも、労働運動やフェミニズムなんかに関心がある人なら、きっと面白いと思うはず。
このドキュメンタリーを見て、日本に来ていた韓国の女性労働者たちのことを思い出さざるを得なかった。
大型スーパーの店舗を占拠して自炊しながら寝泊まりする膨大な数の女性労働者たち。ダンボールを敷いてレジの前で横になるおばさんたち。
みんなで歌の練習をして、踊りの練習をする。
何だか楽しそうにも見える座り込みの風景。
本社から送り込まれた管理職の男性が、小額カード決済ができずにモタモタしているのを揶揄するシーンはなかなか痛快。「レジなんて誰でもできる、パートの使い捨て労働者で充分」という経営陣の主張への痛烈な皮肉だ。
家のことを心配しながら、仲間と団結して最後まで戦うんだと決心した彼女たちは、警察にごぼう抜きにされながらも、激しく抵抗して叫ぶ。
粘り強い彼女達も、ストライキが長引くと、さすがにさまざまな理由でぽつりぽつりと脱落していく仲間も出てくる。「どうすればいいんだろう」という真摯な議論が始まる。離婚の危機に置かれた妻もいる(日本遠征闘争に来たグループの中でも、連れ合いとの関係でトラブって悩んでいた人がいたのを思い出す)。
闘いが大きくなり、長引くにつれて、上部組織や政党、支援者たちのさまざまな葛藤もはじまる。
労働者としての闘争、家庭内の妻や母としての地位、運動内での立場、生活…、こうした複雑な変数の微妙なバランスの中で長い闘いは決着していくわけなのだが。
「外泊」の背景になったEランド・ホームエバーの闘争は、韓国では多くの正規・非正規労働者が、雇用形態や企業の壁を越えて団結して一定の勝利を収めた闘いとして評価されている。非正規の不安定な雇用に追いやられることに抵抗する女性労働者の闘いとして、女性労働運動の中でも高く評価された闘いだ。
決して女性だけの闘いではなかったし、非正規だけの闘いではなかったのだけれど、とにかくこのドキュメンタリーはスーパーを占拠した女性・非正規職の視点で展開する。「Eランド・ホームエバーの闘いのドキュメンタリー」ではなく、「Eランド・ホームエバーの闘争を闘った女たちのドキュメンタリー」というべきか。争議全体の経過や説明みたいなものは簡単に触れられているだけなので、あるいは全体像がわかりにくい部分があるかもしれない。でも余計な部分をバサバサ切り取ってしまったので、彼女たちの視点がくっきり浮かび上がってくる。
「レジのおばさん」の闘いが、社会全体の闘いにならざるをえない理由は、韓国社会の中で女性労働者が置かれている立場にある。日本でもまともに労働者扱いもされない「レジのおばさん」の地位は韓国と同じだと思うのだけれど、韓国の場合、さまざまな社会的な条件もあって、日本よりも厳しい状況に置かれている。そのへん、日本的な感覚で見てしまうと、彼女たちが置かれている状況の切迫感がなかなか伝わってこないかもしれない。「いやー、韓国のおばさん、すげーな」で終わらせてはいけないのだけど。
このドキュメンタリーの面白い部分は、彼女たちが単に悪徳経営者だけと闘っているのではなく、労働組合内部での闘い、外部の組織との闘い、家庭の中での闘い、韓国社会との闘い、そんないろんな相手としゃにむに闘っている姿が見えるところかもしれない。そして同じような状況の中で、同じような相手と闘っている仲間たちの連帯感、闘いの中での高揚感、闘いが終わった後の微妙な違和感、そんなものが画面から自分の中に染み込んでくるような感じさえする。
日本や韓国のフェミニストたちは、このドキュメンタリーを高く評価しているらしいのだが、フェミニスト的主義主張を大上段に振りかざした感じはない。むしろ画面の中で彼女たちは「夫に」「子供に」と言う。そんなおばさんたちの闘いだから迫力がある。自分の生活、家族の暮らし、そんな生活感が漲る闘いなんだ。労働運動なんだか生活運動なんだか女性運動なんだか知らないけど、そんな区別はつまらない。普通に働いて、普通に暮らしたいと思う女たちの闘いがある。
韓国の労働運動は、いま、曲がり角にいる。
曲がり角の韓国労働運動で特に重要な部分は、女性主義的な労働運動をどこまで受け止めていけるかということ。
フリーターとか派遣とかが問題になっている日本でも、非正規女性労働という部分はなかなか光が当たらない。真剣に考えなきゃいけない部分なんだけれどねえ。
この映画にはパワーもらいました!
でも、そんなに単純な問題じゃない。また、今まで闘ったことなかったレジのおばさんだから、そこまでできたというのもあったみたいです。
上映会の後に監督のお話があって、こんな闘いがあってもなかなか韓国の労働問題はやっと話あいできるテーブルについただけとか。
ただ、このレジのおばさんのパワーと団結、日本の息づまりの労働運動にほしいとおもいます。
http://www.mypress.jp/v2_writers/wallaby97/story/?story_id=1909459
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