韓国独立映画 - 糞蝿
牛の鈴音(ウォナンソリ)のヒットで韓国独立映画が俄然注目されるようになった。ウォナンソリ、いい映画だと思うけれど、「必見の映画」というほどスゴいのかなあ。映画には別に詳しくないので、「見所」を見落としているのかもしれないけど。
ウォナンソリに隠れてしまったけれど、昨年の韓国独立映画では「トンパリ」がよかった。トンパリって、糞蝿という意味。「息もできない」という邦題が付けられているんだけど、これは英語題名のBreathlessの訳なんだろうね。「糞蝿」じゃあんまりだと思ったのかも知れないけれど、映画の内容はまさに「糞蝿」というタイトルがピッタリする。
人間のクズなんて言葉ももったいない。まさに「糞蝿」レベルのやたら粗暴なチンピラ、クズ野郎の話。韓国の任侠映画みたいなヤクザ物では「チング」なんてのがあったけれど、そういう組織暴力団的悪党じゃなくて、単なる粗暴な落ちこぼれ。どーしよーもない奴。西原理恵子の漫画で描かれているみたいな世界。
最初から暴力シーン。このシーンは「あー、こういう話ね…」という感じで、なんだかつまらなそうな映画だなあと思って見始めたんだけど、後半の展開がいい。ちょっと韓国ドラマ的というか、「そう来たかぁ」感もあるけれど、ま、いいでしょ。
日本の浄土真宗に悪人正機説ってのがある。それこそ糞蝿みたいな底なしのクズ野郎こそ救われるんだ、っていう説だ。変革期の混乱の中、そこら中に糞蝿みたいな連中が徘徊していた親鸞の時代に、この映画に出てくるような悪党は珍しくなかったのかもしれない。親鸞は、些細な争いの中でのたれ死んでいく、そんな糞蝿野郎たちの中に何か聖なるものを見たのかもしれない。
この映画を見て、そんなことを思ったりもする。
脇役の少女がかわいい。で、このかわいい女の子が猛烈な侮辱語を連発する。
韓国では、なかなか奥の深い侮辱語の世界があって、主人公の糞蝿野郎は当然、こうした侮辱語を連発するわけなんだが、高校三年生の女の子がチンピラの主人公と同レベルの侮辱語で対等にやりあう。
外国人なので、その「猛烈さ」がちょっとピンと来ないのだけれど、韓国の座り込み現場なんかでこの手の侮辱語の応酬があると、何か一言で相手が完全にキレて暴れだす、みたいな場面を見ることがしばしばある。おそらく、ネイティブの韓国人だと、映画の中の侮辱語の応酬は、結構ドキドキするんじゃないかと想像する。
この応酬は、同じ種類の糞蝿どうしが、互いを確認するプロセスなのかもしれない。主人公と少女は、群の中で生きる生き物としての本能的な何かでつながっている。
貧しい人々が暮らすゴミ溜めのような街。主人公と少女が、屋台が並ぶにぎやか通りを楽しげに歩くシーンがある。高級リゾートでもなく、きらびやかなテーマパークでもない、貧しい人々でにぎわう表通り。印象的なシーンだった。
いろいろ印象的なエピソードもあるんだけれど、まあ、牛と老人の話より、ぼくはこういう話の方が好きだなあ。
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