大量消費へのささやかな抵抗

5月15日2009年

JSバッハの作品のひとつにコーヒー・カンタータと呼ばれる世俗カンタータがある。当時の熱狂的なコーヒー・ブームを背景とする作品だ。
もちろん、当時はネスカフェもイリーもスターバックスもあろうはずもなく、コーヒーを飲みたければ生豆を買ってきて自分で焙煎して飲むか、カフェに行かなければならなかった。
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普通に焙煎したコーヒーの賞味期限は短い。3日目ぐらいをピークとして、だいたい1週間程度。1カ月も置いたら、煎じ薬を飲んでるんだか何を飲んでるんだかわかんなくなる。
スーパーマーケットで焙煎したコーヒー豆が買えるようになったのは、保存・流通技術の進歩のおかげである。
米国では1930年代まで、スーパーではコーヒーの生豆を売っていて、家庭ではキッチンで生豆を焙煎して飲むのが普通だったという(http://www.sweetmarias.com/tradition.php)。
もちろん今でも場所によっては家庭での焙煎は特別なことではない。先日、バンコクに行ったときに泊めてもらったインド人の家では、毎週奥さんがフライパンで生豆を焙煎するのだそうだ。
生豆なら保存もきくし、20分ほどの時間をかけて焙煎すれば、いつでもフレッシュなコーヒーを飲める。
コーヒーは嗜好品なので微妙な味わいの違いに大げさにこだわったりするから何となく難しげだが、調理技術的にはコーヒーの焙煎も飯炊きと大してかわらない。
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しかし、飯炊きもそれなりにめんどくさいように、キッチンでの焙煎というのはちょっとめんどくさい。
ビジネスというのは、こういう所を狙うもんだ。
焙煎が面倒という人に焙煎した豆を売れば儲かるというわけだ。
豆をひくのが面倒という人には挽いた豆を売れば儲かる。
コーヒーをいれるのが面倒という人には、インスタントコーヒーがある。
それも面倒なら、缶入りコーヒーでどうだ。
10円もしないコーヒー豆が、こうして何百円もの「製品」になって売られるようになる。
「ちょっと面倒」を「ちょっと便利」にする、そんな無数の「ちょっと」が積み重なり、保存・流通システムの進歩、情報システムの進歩が、巨大で複雑なコーヒーの流通システムを形成している。
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このシステムは、「ちょっとの手間」を惜しむ忙しくて不精で不器用だけど、金だけは持っている先進国の人々が、いつでもどこでもおいしいコーヒーを飲めるようにした。
そして、1930年代に米国の町のスーパーであたりまえに売られていた生豆は姿を消した。
これが文明の進歩というものである。
同じようなことが、コンピュータの世界では極端に時間軸を圧縮した形であった。1970年代まで、プログラムは自分で作るものだった。しかし、今ではマイクロソフトの巨大で複雑なパソコンのシステムがあたりまえになっている。
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店頭に並ぶ無数のコーヒー製品の選択肢は、あまりにも膨大である。どんな嗜好にも合うコーヒーがある...かのように見えて、実はそうでもない。
ぼくがそもそもコーヒーの焙煎を始めたのも、どうしても好みにあうコーヒーがなかったからだった。「この味で、もう少しだけ深く焙煎した豆が欲しい」とか、「きょうはあっさりと飲みたい」とか、そんなような理由だ。
コンピュータの世界も、どんな目的にも使える高性能で多機能なソフトが腐るほどある。ところが「これだけでいいんだけど、なんでこれができないの」みたいなケースは多い。WindowsもMacも使ったけれど、結局Linuxを使っているのはそんな理由だ。
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コーヒーのビジネスが悪いわけじゃない。大量生産・大量消費の消費システムの中で、鉛を金に変える現代の錬金術である。
要するにおいしいコーヒーが飲めればいいんでしょ、というのはその通り。おいしいコーヒーだけを目的にするんだったら、極めて合理的だし便利だし、いいシステムだと思う。そして誰もがそう思ったから、コーヒー産業はこれだけ大きな産業になったんだろう。
でも、結果としておいしいコーヒーがあればいいというだけじゃ、人生は面白くないと思う。
これがコーヒーじゃなくて三度の食事だったらどうだろう。毎日コンピ二の弁当を食べても立派に生きていけるけど、そりゃエサであって食事ではない。
工場で作られた高品質の製品に取り囲まれた暮らしが豊かな暮らしというわけじゃない。
「今日はUCCのモカブレンド、明日はスタバのケニア」とか「今日はセブンイレブンのハンバーグ弁当、明日はファミマの唐揚げ弁当」みたいな選択よりも、「今日はコロンビアを深めに炒ってガテマラと合わせてみよう」とか「今日はナマズをベトナム風に煮てみよう」みたいな生活のほうが、ぼくは好きだ。たとえ不味かったとしても。
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誰かが設計してくれた理想的な人生をきっちり生きるというのも悪くないかもしれないけれど、ぼくにはあまり興味がない。おかげで貧乏で苦労しているけれどね。
誰かが理想的に焙煎してくれたコーヒーより、自分で好きなように焼いたコーヒーの方が楽しいと思う。時として「ぶはっ、こりゃ何だ」みたいなコーヒーになったりするけど。

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