日本が生き残るためには
先日、ある労働運動関連の講演で講師が「日本が生き残るためには...」というようなことを言っていた。よく聞くフレーズだ。
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しかし、だ。
ぼくはこのフレーズが嫌いだ。
「日本が」という部分が嫌いだ。「生き残る」という部分はもっと嫌いだ。
つまり競争して、どこかは生き残れず、自分が生き残る。
生き残る方はいいけれど、生き残れずに死んだやつらはどうする。
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競争の中で、労働者は犠牲を強いられる。「生き残れなければみんな死ぬ」と脅されて。
競争に勝てば生き残れるわけじゃない。
国家間の競争は国家内の競争につながり、労働条件の切り下げ、労働強度の強化、労働時間の長時間化など、「底に向かう競争」が生まれる。その競争に脱落すれば死ぬ。脱落しなくても、死なずに済んでいるという程度。
ワーキング・プアは、まさにそうした競争の中で必然的に発生する。
競争は勝者と敗者の存在が前提になっているのだから。
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競争なんかに意味はない。
国家が生き残っても労働者が死ぬんだったら、意味はない。
資本主義の幻想さえ振り捨てれば、競争する必要なんてどこにもない。
労働組合って、そうした絶望的などん底への競争を食い止めるための仕組みだったはずなのに。
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