ライセンス、著作権 (旧サイトから引越し)

10月21日2008年

ライセンス・マネジメント

あらゆる表現は著作物として保護される。
コンテンツを制作するにあたり、著作権についての理解が必要。

著作権について

著作権、特許権、商標権などは、「知的財産権」などと呼ばれることがある。しかしこれらの権利をすべて「知的財産権」とみなすことは政治的に正しくない。

英米の著作権

以前、英米の著作権システムは、独仏など(日本を含む)の大陸系著作権システムと異なっていた。
英米では出版業者の権益を守るための権利(copyright)、独仏では著作者の権利(right of the author)。
1980年代(レーガンの時代)、製造業の衰退に悩んでいた米国は、従来は無償と考えられていたさまざまな無形の生産物や技術などを「知的財産」とし、これらの「知的財産」により収益を上げることを目論んだ。
そのため、これまでベルヌ条約を拒否してきた米国は国内法を整備し、ベルヌ条約に加入、その後、米国はGATTウルグアイラウンドで「知的所有権」に関する要求を貫徹させ、世界知的所有権機関(WIPO)を設立、著作権をはじめとする知的財産権に関するヘゲモニーを確立する。
著作物に関する権利を「知的財産権」とみなすことは、レーガノミックスに端を発する新自由主義経済を支える政治的なドグマにほかならない。しかし、ちょうど1980年代に勃興したマイクロソフトをはじめとする米国のソフトウェア産業は、こうした政治的な流れにバックアップされ、急速に成長した。

方式主義、フェアユース、パブリック・ドメインなどのキーワード。

著作権以外の「知的財産権」としては、特に特許権の問題が深刻である。
生命特許、ビジネスモデル特許、ソフトウェア特許など。
なお、知的財産権は英語ではinterectual propertyで、「知的所有権」となる。
日本では(本来は英米でもそうなのだが)無形の著作物などの「所有」という概念に問題があることから、「知的財産権」と呼ばれる。

ところで、旧帝国のイギリス、新帝国のアメリカ合衆国の「所有」に関する発想の共通性について考えてみるのはおもしろいかもしれない。

著作権は誰のための権利か

日本では本来、著作権は著作者の権利であり、人権の一種だが、著作権法は財産権に関する法律。
米国の「知的所有権」の考え方は商業的権利に発する。

著作人格権と著作隣接権

著作者以外に、著作物に関する周辺の権利者のための著作隣接権がある。
たとえば小説の著者は著作人格権を持つが、その小説を出版する出版社は著作隣接権を持つ。

著作権の目的

著作権法
第一章 総則
第一節 通則
(目的)
第一条  この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

「公正な利用」と「権利の保護」により「文化の発展に寄与する」という点に注目。
独占的な利用の権利を保証し、企業の利益に寄与するための法律ではない。
ちなみに、所管は文化庁。

利用と使用

利用は、著作物を複製したり伝送、あるいは改変、上演などをすること。
使用は、著作物を読む、視聴するなど。

フェアユースと例外規定

米国などの国ではフェアユース(公正利用)の概念がある。
日本では著作者の許諾を必要としないケースを列挙する例外規定がある。

米国の場合、フェアユースは「利用の目的と性格(商業的か、教育目的かなど)」、「著作物の性質」、「使用部分の量や重要性」、「潜在的利用又は価値についての影響」の4項目を総合的に判断する。判断は裁判所に委ねられる。
サーチエンジンなどは米国でフェアユースが認められる例。ちなみに厳密に突き詰めると日本ではサーチエンジンは著作権法違反になる可能性が高い。

日本でもネット・ビジネスの活性化ためにフェアユースの条項を導入する動きがある。

GPL (GNU Public License)

参考:FSFによるGPLの解説
上記リンクの翻訳
自由なソフト(フリーソフトウェア)のライセンス。
フリーソフトウェアは誰でも、金銭の支払いや秘密保持など、いかなる制限も受けることなく、自由に利用(変更を含む)できるソフトウェア。
フリーソフトウェアの普及により、多くの優れたソフトウェアが開発されるようになった。フリーソフトウェアは、インターネットはもちろん、一般の家電製品にまで組み込まれ、世界を動かしている。

GNUによるフリーなライセンスについての解説

参考:FSFによるライセンスの解説
上記リンクの翻訳

フリーソフトウェア

参考:Wikipediaのフリーソフトウェアフリーソフトウェア

GPLのバージョン

ライセンス上の自由を制限する抜け道をふさぐための条項が追加。

GNU フリー文書利用許諾契約

ソフトウェアのマニュアル、ドキュメントなどを想定。

著作物に関するライセンス

インターネットは情報の共有を前提とするコンピュータ・ネットワークだが、インターネットで公開される情報を利用するときの一般的な手続きが存在しなかった。このことがインターネットでの情報を利用する上での問題になっていた。

Creative Commons

参考:Creative Commons Japan
GPLがフリーソフトウェアの開発を保証するように、CCは文章、音楽、映像、その他の一般的な著作物を対象として、著作物の利用を促進するために開発されたライセンス。
各国の法制度にあわせ、各国ごとに異なるバージョンが存在する。
ただし、CCはGPLのように無差別かつ無限の自由利用を保証するものではなく、著作者の意向により利用に制限をかけることができる。
日本では、著作者人格権を譲渡することはできないため、米国版のパブリック・ドメインは選択できないが、パブリック・ドメインへの寄贈という形で著作者人格権の不行使を宣言することは可能。
以下のオプションから選択できる。

  • 表示
  • 表示 – 継承
  • 表示 – 改変禁止
  • 表示 – 非営利
  • 表示 – 非営利 – 継承
  • 表示 – 非営利 – 改変禁止

情報共有ライセンス

韓国の情報共有運動団体が開発したライセンス。
CCとほぼ互換だが、CCとの比較では、「継承」を選択不可としている点がユニーク。

ニコニ・コモンズ

参考:ニコニ・コモンズ
「ニコニコ動画」によるライセンス。商業的な見地からニコニコ動画が投稿者の著作物を勝手に使えるようにするためのライセンスで、CCとは似て非なる。
自分のものは自分のもの、他人のものも自分のもの、というマイクロソフト的著作権感覚で「コモンズ」を標榜するという軽薄さがカワイイ。
それでも「共有」がビジネスになるという点には留意すべき。

共有

情報は共有されることで情報になり得る。共有されない情報は情報ではない。
どのような条件で共有されるかが問題。

G8MNの共有

テキストユニットのCCの採用。
ビデオユニットの共有サーバの利用。

コンテンツの共有とコントロール

コンテンツの独占: 一切他人に公開しない。すべての権利を自分だけのものにすることができる。
コンテンツの共有: 他人にコンテンツを使用させる。一定の範囲内で権利を放棄することになる。
コンテンツは一般的に独占とパブリック・ドメインの中間で使用や利用を許可することになる。

JASRAC的詭弁

「著作物を利用する際に、著作者への正当な対価を支払うことが、さらに新たな著作物の創作を産み、文化を発展させていく(http://www.jasrac.or.jp/profile/copyright/index.html)」
コンテンツの制作をコンテンツ・ビジネスの範囲内でしか見ようとしない一方的な主張であり、市場原理主義信仰の教義以外の何ものでもない。たとえば、シェイクスピアや紫式部に「正当な対価」が支払われただろうか。Webの仕組みを作った人に「正当な対価」が支払われただろうか。違法コピーが蔓延する韓国ではコンテンツ産業は壊滅しただろうか。
「…文化を発展させていく」ではなく「…コンテンツビジネスを発展させていく」と書けば文句は出ない。わざわざ「文化」などと書いて人々を混乱させるJASRACのような組織や企業には十分注意しなければならない。

文化・公共

情報の文化的価値と商業的価値を明確に区別すべき。
私的ビジネスセクターによるこれらの意図的な混同と、そのプロパガンダが文化を破壊している。生命特許などはその端的な例。

いわゆる不正利用・不正使用

コンテンツの不正コピーは「盗み」と同じ、というデマ。
情報そのものは財物ではなく、使用条件を超えたコピーをしても窃盗罪は適用されない。あくまでも著作権法違反であり、これを「盗み」にたとえるのは間違い。米国の伝統的著作権センスでは「盗み」に近いという点には留意すべきだが、わざわざ米国という特殊な国家のセンスに従う必要はない。
A社の著作物をB社が不正に利用するケースと、A社の著作物を市民が不正に使用するケースはまったく異なる意味を持つ。

鼻歌を歌う権利

私的利用には許諾は不要である。したがって、誰でも自由に許諾を受けることなく、自分一人で鼻歌を歌う権利がある。
無料、非営利のコンサートの場合も許諾は不要である。
しかし不特定多数に配布されるWebサイトや放送、ビデオ、CDなどでは、いくら無料、非営利でも許諾が必要とされている(許諾は必ずしも代価を支払うことを意味しない)。
また、コンテンツ・ビジネスは、継続的に民衆の著作権利用の範囲を狭めようとし続けている。メディアを使って洗脳に近い情報操作を行っている。
権利とは、本来「どこからどこまで」と決まっているものではない。自分たちの権利を拡張する不断の努力によって権利の範囲が決まってくる。これは相手方との力較べだと言える。
このような権利のダイナミックスに無関心であれば、いずれ鼻歌を歌う権利も奪われてしまうだろう(カラオケは、私的に歌を歌う行為に課金することを忘れてはならない)。
JASRACのデマ、マイクロソフトのプロパガンダは、一方的な主張に過ぎないことを理解し、民衆側の領域を拡大する努力を続けなければならず、常に意識化する努力を続けることで、権利を伸長させなければ、いずれすべての権利は失われてしまう。

映画の著作権

日本では映画監督は映画の著作者(人格権)でありながら、映画の著作権(財産権)を持たない。著作権は映画製作者にある。
著作権法への映画会社の介入により、不合理な法律になっている。映画には膨大な数の権利者がかかわることになるため、著作権処理を簡素化するという理由があったと言われる。

このようにコンテンツ・ビジネスが政治的に介入し、著作権の精神を破壊する例は、特に米国で顕著。
デジタルミレニアム法やミッキーマウス保護法など。
もともと、英米の著作権体系が、業界の権益保護という側面を持つことに留意。

メインストリームとオルタナティブ

メインストリーム・メディアは、商業的価値を行動の尺度とする。
言い換えれば、コンテンツ・ビジネスによる商業的コンテンツを販売する経路と言うことができる。
著作者と消費者の間で利益を極大化させる役割を果たす。

これに対してオルタナティブ・メディアは、非商業的価値、文化的価値などを行動の尺度とする。
既存のコンテンツ・ビジネスのドグマを無批判に受け入れることは、その存在を否定するものと言える。

オルタナティブ・メディアの対価

非営利であれ、オルタナティブであれ、作品の制作には労働力が投入される。労働力に対する対価を求めることに何ら不都合な点はない。
しかし、オルタナティブ・メディアにおける著作物の財産権を主張する場合は十分にその政治的な意味を検討しなければならない。

オルタナティブ・メディアのライセンス

オルタナティブ・メディアにおいても、特にライセンスでメインストリームと異なる部分はない。
CCのようなライセンスも、所詮現行の著作権法を基盤とするライセンスであり、著作権法の体系から外れたライセンスを設定しても実質的な意味はないからだ。

しかし、GNUが著作権を逆手に取って開発したGPLが、ソフトウェアの自由を保証することが示すように、同じ著作権もメインストリームとオルタナティブでは異なる意味を与えることができる。著作権は、否定すべき権利ではない以上、積極的に著作権を活用していきたい。

オルタナティブ・メディアは、情報本来の役割、知識本来の意味を常に意識し、不当な権利の行使や情報の所有に対し、公正なライセンスを採択することが必要である。

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